ちゃらんぽらんの日記

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マイナス金利と白樺派(?)

株価下落の報道が続いていますね。

マイナス金利の導入の是非を解説したり、家計のお得な対応は?とか、あまり意味の無い本質を外れた議論は相変わらずという感じです。私は手持ちの株を昨年の7月頃に売却しキャッシュにしています。(昔からLTCM危機やリーマン危機など、暴落の予兆には勘が働くので)

日銀がマイナス金利を行ったのは、2014年夏の欧州が初めてマイナス金利政策を導入したという先行事例を見てですが、銀行に貸出を伸ばせとハッパをかけても無駄です。資金需要が無い(みかけ上ですが)という理屈と貸出しなくても手数料(振込手数料など)の収入があるからとりあえず銀行経営が成り立っているからいいや、と傍観を決め込んでいるからです。銀行は「何か儲かりそうだな」というものには遅れまじとばかりに殺到しますが、産業金融という崇高な視点は忘れて自己利益化集団と化しているからです。金利差のための円高対策という側面も勿論ありますが、貸出を伸ばそうとマイナス金利を導入するくらいならATMなどの振込手数料などの手数料禁止令を発布したほうが余程効果があるかもしれません(苦笑)。金融鎖国という手がないわけでもありませんが。

銀行にストレスが及ぶ前のプロセスでは原油価格などの国際商品市況の下落が要因ですが、これもその本質からは当然のことです。単純明解ですが、国際商品にはフェアバリュー(公正で均衡点と考えられる価値)が無く、買い手と売り手の需給だけで価格が決まるのですから。ずっと上昇してきたし、きっとこれからも上昇するだろう。乗り遅れたくないし、買っておこう。という程度の認識で世界中のアマチュアもプロも参加する市場です。その分、暴騰も暴落もあります。中世オランダのチューリップ・バブルも日本の不動産バブルも同じことです。株式市場はフェアバリューが意識されるのでちょっとはマイルドです。ですから、日本の株式市場も昨夏から3割の下げですんでいるのです。

さらに国際商品市況の乱高下の原因は中国です。中国経済がどのように先進国市場に参入してきたかを見守り続けなければ分からないでしょう。それにどうも中国人の方々は感情先行型でフェアバリューのない商品市況には変動性(ボラティリティー)を拡大する方向のみに作用しているようです。

これらの一連の動きを俯瞰していると、資本主義も終焉が近づいたという思いを強くします。資本主義は資本家と労働者の関係で表象されますが、あなたは資本家ですか、それとも労働者ですか?私は労働者ですが、一方で資本家でもあります。うちのお隣さんも労働者であり資本家でもあるようです(株式投資をしているようなので)。15年ほど前の中国には労働者ばかりでしたが、今は資本家であり労働者である人も相当に増えてきました。今、労働者だけという状態でとり残されている地域はアフリカくらいではないでしょうか?

資本主義経済で、貿易や金融、制度などが自由化されるとコンバージェンス(差がなくなり収斂すること)が起こります。教育水準も所得水準も国や人種にかかわらずです。つまり、それは資本主義ではなくなるということです。

私が2008年に機関投資家向けのセミナーで講演したときに調べたデータで古いのですが、2008年当時の世界経済のGDPは5,000兆円でした。それに対して、世界全体の金融資産は1京8240兆円で、実体経済の所得の3.6倍の資金がうごめいているわけです。このセミナーで私は「レバレッジド・エコノミー」と称しました。このうち世界中の株式は7,200兆円で、債券や貸付などのデットは1京1,040兆円でした。この膨大な資金は使ってもらえる先を求めて、リーマン危機を引き起こしたサブプライム・ローンに向かったり、中国の不動産バブルに向かったり、国際商品市況に向かったりするわけで、失敗すれば実体経済を吹き飛ばすくらいの猛威をふるうわけです。その中で、資本家と労働者を兼ねた先進国の住民は生活防衛的になり、労働者でしかないアフリカなどの住民は搾取の対象となってしまうので保護しようとフェアトレード運動が機運を見せはじめます。

無責任な言い方かもしれませんが、結局はレバレッジド・エコノミーは続かず、デレバレッジレバレッジを外す)していくしかありません。欧州だけが資本家で世界中の植民地から搾取できた時代から4世紀を経て、世界中が資本家になりアフリカからしか搾取できないのですから分配も減ります。そこにいくらレバレッジをかけても意味がないのです。そういうことで、将来的には銀行という存在は不要となるでしょう。

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ここで、私が思うのは明治から大正デモクラシーの経て昭和初期まで花開いた白樺派の人たちです。文豪の有島武郎ニセコ町の有島農場で唱えた「相互扶助」の精神や柳宗悦が唱えた「用の美と民藝」。これらは、古臭いとの印象を持つ人たちがほとんどであるとは思いますが、実は「資本主義の終焉の後の新たな価値観」と言えるのです。

一般のサラリーマンの姿は、労働者でありながら持株会を通じて自社の株主(資本家)でもあります。もはや、労働者イコール資本家なのですが、分配だけ他人任せという状態です。有島が云う「相互扶助」というのは決して保険や共済だけではなく、「ともに財産を拠出し、ともに汗をを流し、ともに分け合う姿」を表象しています。柳が云う「用の美」とは日常的に使用される生活道具が人生の伴侶であり、多くの知恵や汗が結集してできた工芸品で、そのモノとの関係に美があるということで、民衆が日々用いる工芸品を「民藝」と呼んでいます。多くの知恵や汗の結晶としての工芸品は作り手が「協働」しての作業の結果です。

この「協働」という言葉は最近復活の兆しがあります。企業の社会的責任(いわゆるCSR)だけでは、株主やその他のステークホルダーと利益の対立があるため、CSV(共通価値の創造)などが注目されつつあり、企業と地域社会、個人との協働がテーマです。いろいろな方の話を聞くと、「協働や相互扶助」ということに強く共感を感じる人たちが目立って増えてきているように思われます。あまり理論的に説明できない方でも、やはり直感として何かを感じている人間力が信号を発しているのでしょう。しかし、白樺派の先人たちの思想を古臭いと決めつけずに、もう一度再評価すると興味深いことが発見できると思います。

ちなみに、マッカーサーにNoを突きつける直言居士で信念(プリンシプル)の人であった、私が好きな白州次郎氏やその妻の正子さんは東京都町田市の鶴川に武相荘という庵を構えましたが、このお二方も民藝の柳宗悦の影響を受け、柳氏の先輩だった有島武郎の影響を受けています。

協働と相互扶助を考えてみませんか?

参考: