ちゃらんぽらんの日記

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未来のカタチ ーアジアの未来と資本主義の先ー

経済同友会の小林喜光氏のコラムが日経新聞に載っていた。

複素数で捉える今どきの経済と。実数はカネであり虚数は豊かさの別の指標であるとし、GDPは実数しか表さない。複素数でも絶対値をとれば虚数でも実数化できる。そのような複合指標はないものかと。

インターネットやロボットのような技術革新はGDPを必ずしも押し上げないが豊かさや利便性は確実に上がっているこのパラドックスに折り合いをつけなければ社会活動と投資活動は交差することのないまま別の道を進んで行くことになる。私が、5年ほど前から機関投資家向けのセミナーで語ってきたことと問題意識が似ているので共感できるコラムだった。

未来のカタチという本コラムのシリーズでは好き勝手に未来予想図を披露しているが、私は西暦2100年頃には資本主義は終わると思っている。私の孫がおじいちゃんになっている頃だ。

資本主義が西側諸国に芽生え日本が列強に対抗した明治時代から1992年の鄧小平の南巡講話までは資本主義には未開拓地が残されていた。白猫であれ黒猫であれ、ネズミを捕る(金を儲ける)のが良い猫だ、という言葉で中国が資本主義に舵を切った。あれから20年、中国も東南アジアも目覚ましい発展を遂げ、世界の未開拓地は一部のアジアとアフリカを残すのみ。

資本主義は剰余価値の獲得が目標で、剰余価値は労働力という可変価値からしか生まれない機械やロボットが高性能になっても不変資本なので剰余価値は生まれない。人間が労働生産性を向上して、同一賃金でより高い生産を行なって(同じ生産ならばより安い賃金で)はじめて剰余価値が生じる。BRICsや東南アジアも賃金が上がり所得が向上している。もうひとつ、資本主義は剰余価値価値の獲得で競争せざるを得ない宿命がある。競争をするということは一時的には格差を生むが、その競争条件がフェアであるならば、必ず競争者の能力は平均化していく運命にある

唯一の例外はSF的だがロボットが可変価値を生み出してしまうことであろう。ロボットが人口知能とビッグデータで進化した結果、人間なみに知恵のある主人ロボットが奴隷ロボットを必要に応じて生産し使役するようになれば、ロボットは不変資本ではなく可変資本となり剰余価値を生み出すかもしれない。

それはさておき、2050年には東南アジアも確たる先進国となり同時に先進国社会病になる。しばらくは、競争で格差が生じるが、その先は皆同じ様なレベルに収斂するのである。それが、私は西暦2100年頃ではないかと思えるのである。

究極のその世界がどのような世界かと言えば、今のGDPというモノサシでは、1人当たりGDPも同じで格差もないということになる。経済大国という言葉は人口の多い国としてだけの意味しか持たない。また、成長率も意味を持たない。十分に衣食住的にも文化的にも満足の行く暮らしが持続できるならば経済成長する必要性がないということになるかもしれない。冒頭の経済同友会の小林氏の言を借りれば複素数虚数にのみ関心が移るのである。

このように目先のことばかりではなく、大局的に物事を捉えたいと思っているのだが、成る程と思えたのは日経新聞主催の「アジアの未来2015」で来日中の元マレーシア首相のマハティール氏の言葉である。「まるで、日本と中国は冷戦をしているように見える」と。確かに、諸外国からみれば日本は中国や韓国と冷戦をしているように見えるのかもしれない。明らかに日本は世界のリーダー国のひとつであろう。狭小矮小な考え方ではなく、もっと巨視的なビジョンを示して世界に未来のカタチの方向性を示すべきだろう。

マハティール氏はアジア通貨危機で米国主導のIMFによる援助を拒否して鎖国した。貿易ができなくなり南米と物々交換をする事態にまでなった。IMF主導で再建した韓国は国内情勢に禍根を残し今も格差が問題となっている。鎖国したマレーシアは今や東南アジアでも指導的な役割を果たしている。お医者さん出身のマハティール氏ではあるが、その大局的な慧眼は見事としか言いようがない。

アジアは雁行型に発展してきた。日本、それに続く香港、台湾や韓国、そして中国や東南アジア、さらにアジアの後進国という順である。面白いことに後発組であればあるほど、民族としての誇りが高い。そして中には、日米欧よりもよほど資本主義のその先が見えているリーダーが隠れているのかもしれない