ちゃらんぽらんの日記

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未来のカタチ ーコンパクトシティ?ー

未来のカタチ


現政権の描く「未来のカタチ」ってどんなんだったかなと公約を読んでみたが、一杯あり過ぎて読み込む意欲が湧かない。しかし、その中で「コンパクトシティ+ネットワーク」という文言が二度も登場したので気になった。

コンパクトシティは記憶によれば5年ほど前に登場した言葉で、長岡市かどこかがモデルケースになったと思う。市内交通をトラムで結んでコンパクトな街並みを目指すというものだ。欧州のドイツような街では典型的だが、もともと城市で囲んだ街並みを連想させる。コンパクトであることで行政コストも抑制できる。これはこれで、悪くはないのだが、「日本すべてに適用するのは、なーんか無理があるんじゃないかなー」と思えてしまうのだ。

コンパクトシティ

人口減少社会への過程でコンパクトシティ論が浮上する背景は云うまでもなく社会インフラと行政コストの削減である。電気ガス・上下水道・道路橋梁・ゴミ・教育・医療福祉・その他の行政事務サービス。特に上下水道や道路橋梁は負担が大きい。

しかし、コンパクトシティへと政策誘導するのは、何か中国の政策と同質の嫌悪感がある。中国は、極論すれば2003年以降、毎年人工的に大都市をつくることで成長してきた。その中で、有無を言わせない土地収用もあった。前回、「低く暮らす」の中で「景観を守るためには強制力もやむを得ない」という意見を述べた。矛盾するようだが、コンパクトシティへの誘導は「暮らす場所を選ぶ自由が奪われる」ような気がしてならないのだ。

都会派か田園派か、と問われれば私は明らかに田園派に属する白洲次郎が郊外の町田市鶴川に「武相荘(ぶあいそう)」を建て田畑に囲まれた生活を楽しんだように。私の場合は、「頓珍館(とんちんかん)」とでも命名しようか。クルマに便利な舗装道路なんぞは要らない。街までは、馬に乗って買い出しである。

そこまで極端ではなくとも、郊外に暮らすことを望む人たちはとても多くいる。ローマ人、ケルト人、ゲルマン人トルコ人と常に異民族の侵入に備え城址で囲った欧州とは違い、日本では開放分散型で十分なのである。郊外暮らしの選好を阻害されるだけではなく、高層ビルや高速道路などの工事を担うゼネコンなどの隠れた意図が見え隠れするのも気に喰わない。

冷暖房や給湯などの必要なエネルギーは太陽熱や蓄熱などの技術でほぼ目処が立ちつつある。上下水道は確かに日本の技術は優秀だが、人口減少で密度が疎らになる社会ではハンデもある。例えば、2年前に新興国向けの製品をつくるスイスのあるベンチャー企業を訪問したが、紫外線殺菌のコンパクトな製品は十分に各家庭で完結する水道システムを構築できる。塩素殺菌を義務付ける日本の制度は、集中処理型を前提とした法制度体系なのである。ゴミは日本の包装リサイクル法は不完全で、ドイツのようにもっと明確に販売場所で無償での回収義務を明記すべきであろう。プラごみは政府出資の民間業者が回収することで、ガス化溶融炉広域センターで処理する。これであれば分別は不要で分別にかかるコストは削減できる。生ごみはコンポスト化し各家庭で肥料に還元する。こう考えると、ほとんどの部分が人口減少社会で密度が疎らになる地域でも生活インフラは維持できると思えてくる。ただし、どうしても残るのが道路の問題だ。

道路維持管理費

土木費は日本全体で年間11兆円強支出されている。そのうち道路維持管理費は3割弱と考えられ約3兆円にのぼり税収の6-7%に相当する。ある試算では、コンパクトシティに移行した場合は2-3%削減できると出ていた。確かに効果はないとは云えないが、土木費の0.9%の効果でしかない。これだけのためにコンパクトシティを目指すとしたら本末転倒で甚だ問題である。道路維持管理費は、道路延長が長くなれば増加し、人口密度が小さくなればその自治体の負担は大きくなるが、無視できるこの程度の効果しかないのである。

これは、「本質的には、道路に負担をかけ続けるクルマに問題がありクルマ社会そのものに問題がある」ことを想起させるのである。クルマ以外の「未来のカタチ」になりうる交通システムはないものだろうか(個人の趣味で云えば「馬」でも良いのだが)?

ハイパーループ

実はあった。それは「ハイパーループ(Hyperloop)」と呼ばれる次世代交通システム構想である。2013年に米国の起業家イーロン・マスク(Elon Musk)が発表したこの構想は2016年に実験場での運転を目指している。ひと言で云えば「エアシューター」のような乗り物である。チューブ型のトンネルを空気圧差を利用して浮上し移動する。コストは鉄道建設コストの1/10程度である。直接接地しないので磨耗も少なく、維持コストも同じ程度に大幅削減が期待できる。時速は1200Km/hを超え、サンフランシスコとロサンゼルスの600kmを30分で結ぶことができる。東京を起点にすれば西は岡山、北は青森まで30分ということになる。

参考記事:http://nge.jp/2015/01/22/post-93182

自治体は死なず

ハイパーループのような革新的な技術は大企業では出て来ない。従来のクルマ社会そのものに、クルマ型産業構造に甚大な影響があり自己を破壊する怖れがあるためだ。従って、それを選挙基盤とする政権からも賛成者は出て来ないかもしれない。しかし、政権は変わるが、国は変わらず、自治も生存し続ける。「自治体は死なず」なのである。自治体が住民の自治の精神にもとづいた政治をするということは、国にも政権にも支配されずに、「自治体が本来あるべき姿を自ら考える」ことが求められているような気がしてならない。