ちゃらんぽらんの日記

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低く暮らす(1)

「平屋再興」

平屋ブームである。このムーブメントは5年ほど前からだそうである。


高齢者になると2階への上り下りが苦になるという理由も多い。たしかに、それはあるだろう。拙宅は3階建で、2階のリビングに続くダイニングを2段分高くしてある。単にデザインでそうしたのであって、「バリアフリー」ではなく「フルバリアー」になってしまった。今はまだ良いが将来が恐ろしい。

でも理由はそれだけではない。鍵一つで管理できるマンションという手段もある。高層マンションはエレベータが必須なので停電になれば生活機能がマヒする。大震災前からマンションを敬遠する人が増えてきたことが興味深い。

では何かと言えば、「低く暮らしたい」という願望である。

戸建て住宅であれば、犬やネコを飼うことができ、庭づくりも楽しめる。横への動線も楽である。子供たちは独立し、多くの部屋は必要ない。だから、平屋なのだ。

東京の街を歩いていて想像することがある。ビルが全部なくなって江戸時代のような平屋だらけの街並みになったらどうなるのだろうかと。昭和40年代の新聞や記事でビル建設ラッシュ(当時は10階建てでも高層だった)で「空が消えた」と。

1941年の高村光太郎「智恵子は東京に空が無いといふ」の空は暖かく営みを見守る存在を象徴したものだったが、今は本当に「空が無い」という様相である。景観地区である北海道ニセコ町を訪れると「空が広く高い」ことにまず感動を覚える。

「低く暮らしたい」という願望と「景観としての空を取り戻したい」という潜在欲求は心の奥でつながっているように思えるのである。

「景観」

この言葉を日本人はとても軽んじてしまっている。「そんなものは経済成長には意味がない」「そんな役に立たないものを後生大事にしているよりは、大都市に負けない大きな立派なビルを建てないと有名企業にもウチの町に出てきてもらえない」「古い家や建物を守るよりも新建材で立て替えてしまったほうが商売になる」。経済成長・大都市模倣と大企業・建築業界などが一体となって景観という言葉を死語にしてきたのである。
欧州とくらべると景観に関して日本人は未開人程度の低い文化程度であり、これは後述する。

「地方創生とインバウンド」

地方創生が声高に叫ばれている。政府は予算配分の効果を上げるために市町村間の競争を煽っているようにも思える。市町村同士で競争をするといっても国内だけでみればゼロサム・ゲームである。A市の流入人口が増える見返りにB市の流出人口が増える。B市は今までかけてきた道路・橋梁・上下水道・電力網などが維持できずに朽ち果てる。商店は閉鎖し企業は移転し倒産も増加するかもしれない。このように考えると、マイナスサム・ゲームの怖れも生じる。地方回帰と東京集中をなくそうとするのであれば、「建築基準法上の東京の容積率を200-300%に抑えて例外は認めない」とすれば良い。高層ビルを建てることはできなくなりアッと言う間に東京から半分近い人口が流出するだろう。

外国人観光客が増加している。それでは外国人観光客に来てもらえばゼロサムにもマイナスサムにもならずプラスサムになるではないか?それはそのとおりである。しかし、まだまだ外国人の目線にはなっておらず「フルバリアー(障害だらけ)」なのである。日本に初めてやってきた外国人からみればコチャコチャした場末のビルの中にある外国人観光案内所にたどり着くだけで疲労困憊となり、「もう二度と来るものか」というのが第一印象となってしまう。「国が市町村に対して道路標識や街の案内標識を多言語標記する旨を義務付ける」そうすれば、バリアーの1つは即座に解消されることとなる。

<続く>